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本の紹介…「シネマ狂躁曲」 梁石日 (光文社)

人間はかなりの割合でダメな存在で、だからそのことが書けてない本は少なくとも文学とは言えない。

特に作者に「自分こそそのダメさの当事者なのだ」という意識が無い本は、結局乾燥した「教本」にならざるを得ない。

「シネマ狂躁曲」は、梁石日の自伝的小説だ。というより仮名こそつかってはいるが、作者の人生のある時期を切り取ったほぼ自伝である。

梁石日は自分がダメだからこそ、本を「書かざるを得ない」人間で、だからこそこの本には人間のダメさ加減という文学の果汁が、「100%濃度」でつまっている。

まず主人公である作者本人がダメだ。小説でこれほど自分を客観視できるのに、いったいなぜこれほどと言いたくなるほど、彼は自己崩壊的に放逸で不摂生。

ダメさ加減では人後に落ちない僕にも思い当たるところがたくさんあるわけで、彼のダメさがそのまま自分の「ダメの果汁」として再認識できちょっと安心もする。

そしてダメな人間もやっぱりなにがしかの希望を持つ。

だからもちろん作者も希望を持つ。彼は自分はダメだし、長生きもしないだろうと諦観しているわけだが、それでも希望を持つので、小説を書き、そしてその小説の映画化に狂躁する。

さらにはそれにむらがる、やはりダメな人間たちが、それでも一緒に何かを作ったり、騙したり、飲んだり、食べたり、決意を固めたり、逃げ出したり、楽しんだり、苦しんだりするのだ。

結果ダメ100%ということになる。

資本の論理の中で、それでもなにかを「やりとげる」ことで自分を保つために、幻想と隣り合わせだとわかっているのに、それでも捨てることができない現代の人間の希望…

資本の論理の中で、欲望と不満の狭間の、狭いところ狭いところに追い込まれていく肉体の危機を感じながら、それでもただ生きることを強いられる、現代の人間の絶望…

まあ、そういう現代という時代への、数少ないこころの免疫抵抗力が、「自分などなにほどのものでもない」といういい意味での生きることへの見切りというか、自意識の整理整頓だと思うし、その意味でやっぱり文学はいまだ存在価値を使い切ってはないと思う。

自分自身への見切りから始まる希望と絶望は、いわゆるメディアで商品として消費される希望と絶望と違って、少なくとも「自然」で「健康」なものだ。

だからこの作品最後はハッピーエンドです。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-08-28 00:28 | 本の紹介
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