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DVDの紹介…周防正行監督作品 「それでもボクはやってない」

「Shall we dance?」の大ヒットを持つ周防正行監督ですが、彼のことを語るにはまず「マルサの女」で有名な故・伊丹十三監督のことから始めなければなりません。

周防監督は、伊丹作品の助監督出身で「マルサの女」「マルサの女2」「ミンボーの女」などのメイキングビデオの制作監督でもあり、一部では本作よりメイキングビデオの方がおもしろいのでは?と噂が立つほどその才能が話題になる存在でした。

僕自身もまだ周防さんの名前をほとんど知らないまま、ドキュメンタリー性と娯楽性を見事に融合させているそのメイキングビデオの作品群を夢中になって視聴していたものでした。

「Shall we dance?」にいたるその後の映画監督としての活躍は多くの人に知られているところですが、僕が関心があるのは周防監督の「Shall we dance?」後の「失われた(ように見える)10年」です。

周防監督は「Shall we dance?」という大ヒット作品を成功させたにも関わらず、その後10年間映画を撮っていない…

しかし「Shall we dance?」にいたるまで倍々ゲームでヒット作を作り続けた監督に制作の依頼や要請が無いはずがない。また作品性の高い周防監督に表現したいテーマや企画が無いということもあり得ない…

ならばこの空白期間はなんだろう?

周防作品のファンである僕は、風の便りさえもない周防作品の空白期間に時々そんな思いを持っていました。そしてその長い長い10年間が過ぎた後発表されたのは、「それでもボクはやっていない」というなんとも愚直で地味なタイトルの作品だった…

しかし僕はその後DVDを買って繰り返し視聴するほどこの作品のファンになります。

そしてそんな自分の内面の変化とともに周防監督の、この「失われた(ように見える)10年」こそ、人が「やりたいことをやる」ということの本当の意味をはっきりと示すものだと感じるようになります。

なぜ周防監督は10年もの長い間、映画を撮らなかったのか…

あくまでも私見ですが周防監督の「失われた10年」は、伊丹十三監督の「自死」という事件に端を発していると感じます。

ヒットメーカとして知らぬ人のいない伊丹十三監督ですが、実は彼は映画制作を始める随分前から、心理学者岸田秀氏に傾倒し、彼との対談を著作として発表するほど心理分析に傾倒した人でした。

岸田氏は、義母との支配的な愛情との葛藤から自らの治療を踏まえて心理学に飛び込んだ学者です。

臨床に携わらず従来の心理学にはない概念を駆使する方法論には批判も多かったのですが、愛情に裏打ちされた承認を得ることができなくなった、現代の親と子の問題に切り込む視点はとても新鮮なものでした。

伊丹万作という偉大な父親に無意識にコンプレックスを感じていた気配が強い伊丹監督も、そんな岸田氏の経験や視点に共感を覚えていたのではないかと思います。

伊丹さんの演技、著作、そして映画作成での尋常ではない完璧さの追求を見るにつけ、成育のプロセスで本当の意味での承認を受けることができなかった人間の、不安と焦燥にいろどられた神経症の深淵を見る思いがします。

しかし伊丹監督は俳優という受動的な職業の限界を超え、自分の才能を全開できる映画監督として成功の巨大な果実を得ます。伊丹監督は、映画をヒットさせることによって、自らの父親を超える「完璧な他者評価」を受けることになります。

しかしそんな絶頂期にも関わらず、周防さんのメイキングビデオは、伊丹監督の、世界を完璧で切り裂くような、張りつめた神経を感じさせる撮影風景を映し出していました。

偶然生まれる爆発的な演技すら、すべてのプロセスの先を読んで自分の完璧な計算の内に生み出そうとするその姿勢は、口元に浮かべた微笑みにも隠せない、刃物の上を裸足であるいているような緊張感に満ちたものでした。

そしてまるで宿命のように転換期が訪れます。

「ミンボーの女」「大病人」「静かな生活」をへて「スーパーの女」…このあたりで僕は伊丹監督が「自分のやりたいこと」と「他人に評価されたいこと」の境界線を喪失し、「何をつくるべきなのか」を見失いつつあることをはっきりと感じていました。

「マルタイの女」にいたって、ストーリーにテーマ性や人間性がほとんど感じられなくなり、衣装などの美術も、美麗を通り越してグロテスクなものに変質していました。

また取材に来た雑誌記者に、あろうことか「どんな映画をとったらみんなに見てもらえるだろうか」と質問したなどという噂が語られている状況に、伊丹さんの内面の荒廃を目の当たりにする思いで息を詰めたことを今でもはっきり思い出します。

その後僕から見れば必然的に「自死」を選んだ伊丹監督に対し、メディアの表面的な賛辞や追悼は耐え難いものでした。

ただひとつ伊丹監督への本当の意味での追悼の言葉として救いを感じたのは、その当時脳梗塞からの復帰を実現させていた映画監督大島渚が、ワイドショーの追悼コーナーで発した言葉でした。

「私が伊丹君に今いいたいのは一言、『君はあのマルタイの女という作品が君の最後の作品でいいのか?』ということです。伊丹君は本当に自分の作りたいものを作っていなかった。本当につくりたいものをつくるためになら作家はどんな苦しみにも耐えられるものです」。

人によっては死者にムチ打つと言われる言葉かもしれません。しかしその言葉はたぶんその瞬間伊丹監督が最も聞くべき、そしてもっとも聞きたい言葉であったと僕は確信しています。

精神分析療法や仕事での自己実現によって、自らの神経症を克服したかに見えた伊丹監督の「自死」は、その著書を読むことで彼の苦しみを共に追いかけていた僕にとっても大きなショックであり、それだけに大島監督の自らの生き方でもって証明をしているその言葉は深く胸に響くものでした。

周防監督はその伊丹監督の生き様をそのまま目にし、そしてある時期まさに重ね合わせて生きてきた人です。ですから周防監督の、特に初期の作品は、伊丹作品と重ね合わせられるほどその味わいが似ている。

それなのにというかだからこそというか…周防監督はおそらくはそんな伊丹監督をよく知っていたからこそ…伊丹監督とは違う道を選択したのだと感じます。

10年間アイデアと才能がある作家がひとつの作品もつくらないというのは、自分の存在証明をすべて失いかねない危険性がある行為ですし、たぶんヒットだけを目的にした作品を作らせるためにお金を出す映画会社はいくらでもあったはずです。

しかし彼は作らなかった。

なぜなら彼は作家にとってもっとも大切なことは「自分のつくりたいものを作り続ける」ことであって「他人に評価される」ことではないこと、それどころか「自分の作りたいもの」を見失うことが作家としてそして人間としてどれほど危険なことか痛いほどを認識していたのだと思います。

「自分の作りたいものを作る」…その軸を失ってしまえば「作家」はその存在意義を自ら消滅させてしまう…

そしてつくられた「それでもボクはやっていない」は、配役を見ても、題名を見ても、そしてタイトルを見ても、どれひとつとしてヒットの予感が無いものばかりです。にもかかわらずこれがとてつもなくおもしろい作品であるから世界はおもしろいと思うのです。

主人公のフリーターの青年が、就職のために面接を受けるその朝、痴漢のえん罪を受け、そこから日本の司法という迷宮に迷い込んで、葛藤し、戦い、成長する物語です。

特に主人公をサポートする、同じくフリーターでパチンコ好きの友達が、事件との直面を通して、専門家なみの自信で法律の解釈を話し始める居酒屋のシーンは、何か日本のこれからの希望のあり方の一端を暗示しているようで、僕の一番好きなシーンです。

日本が国家として成熟したがゆえに生まれてきた社会の無数の歪み、複雑にからみあい人間のエネルギーを見えないところで奪い去る社会の強烈な捻れを、正確に、シンプルに、そしておもしろく描いた傑作です。

基本的に映画は娯楽ですが、時おり人の生き方や社会を変えるほどの威力を持った作品が、意志と才能のある作家から生まれるような気がします。

周防正行監督作「それでもボクはやっていない」が、DVDのレンタルショップで思いのほか多くの人に借りられているのを見る度、その思いが僕の中に去来します。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-08-15 20:02 | 本の紹介
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