ブログ… 「コーチはリーダーである。リーダーはコーチである」
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カテゴリ:本の紹介( 9 )

本の紹介…「シネマ狂躁曲」 梁石日 (光文社)

人間はかなりの割合でダメな存在で、だからそのことが書けてない本は少なくとも文学とは言えない。

特に作者に「自分こそそのダメさの当事者なのだ」という意識が無い本は、結局乾燥した「教本」にならざるを得ない。

「シネマ狂躁曲」は、梁石日の自伝的小説だ。というより仮名こそつかってはいるが、作者の人生のある時期を切り取ったほぼ自伝である。

梁石日は自分がダメだからこそ、本を「書かざるを得ない」人間で、だからこそこの本には人間のダメさ加減という文学の果汁が、「100%濃度」でつまっている。

まず主人公である作者本人がダメだ。小説でこれほど自分を客観視できるのに、いったいなぜこれほどと言いたくなるほど、彼は自己崩壊的に放逸で不摂生。

ダメさ加減では人後に落ちない僕にも思い当たるところがたくさんあるわけで、彼のダメさがそのまま自分の「ダメの果汁」として再認識できちょっと安心もする。

そしてダメな人間もやっぱりなにがしかの希望を持つ。

だからもちろん作者も希望を持つ。彼は自分はダメだし、長生きもしないだろうと諦観しているわけだが、それでも希望を持つので、小説を書き、そしてその小説の映画化に狂躁する。

さらにはそれにむらがる、やはりダメな人間たちが、それでも一緒に何かを作ったり、騙したり、飲んだり、食べたり、決意を固めたり、逃げ出したり、楽しんだり、苦しんだりするのだ。

結果ダメ100%ということになる。

資本の論理の中で、それでもなにかを「やりとげる」ことで自分を保つために、幻想と隣り合わせだとわかっているのに、それでも捨てることができない現代の人間の希望…

資本の論理の中で、欲望と不満の狭間の、狭いところ狭いところに追い込まれていく肉体の危機を感じながら、それでもただ生きることを強いられる、現代の人間の絶望…

まあ、そういう現代という時代への、数少ないこころの免疫抵抗力が、「自分などなにほどのものでもない」といういい意味での生きることへの見切りというか、自意識の整理整頓だと思うし、その意味でやっぱり文学はいまだ存在価値を使い切ってはないと思う。

自分自身への見切りから始まる希望と絶望は、いわゆるメディアで商品として消費される希望と絶望と違って、少なくとも「自然」で「健康」なものだ。

だからこの作品最後はハッピーエンドです。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-08-28 00:28 | 本の紹介

本の紹介…写真集 東京ディズニーリゾート DREAM

「ディズニーマジック」という言葉がある。

いつだったかディズニーランドに行った時、「ではディズニーマジックは一体どこまで有効なのか?」とふと思いつき観察してみた。

難しく考えることはない。

ディズニーランドを訪れたお客は、ディズニーランドの中で、思わず色々なものを買ってしまう。お菓子やストラップ、高い物になればディズニー工房で作られたフィギュア、帽子やバッジなど…

ディズニーランドで遊び終わって、ゲートを出て電車の駅に向かう。

この時まだお客は園内で買った帽子やバッジをつけたままでいる。もうディズニーランドの私有地を離れているにも関わらずまだ「ディズニーマジック」にかかったまま…

親も子も恋人同士も笑顔をたたえて、無防備に現実の街に向かって歩き出す。

さて電車に入る。まだたくさんの人が帽子をかぶりバッジをつけ、人によっては風船を携えていたりする。親子も恋人も今日の体験を「もうちょっと」反芻しておきたい風情だ。

一駅目。

お客の表情が変わっていく。ディズニーランドから日本の現実へ…笑顔は縮小され僕たちがいつもの街で自分を守るために装着する、無機質な表情へと笑顔の薄皮がはがれていく。

二駅目。

幾人かがミッキー帽をぬぎはじめる。気がつけばあれだけいた「ディズニーランドの住人」が夢と善意、正しさや魔法をおみやげバッグの中にしまい始める。

三駅目。

もう誰1人としてミッキー帽をかぶっている人はいない。これは現実の話だ。乗車してから10分?15分?カボチャの馬車はあっとういう間にただの電車に戻った。

だからといってディズニーマジックが弱くて脆いなどと言いたいわけではない。

むしろ逆だ。ディズニーランドを出てから電車で3駅。距離にすれば10キロ弱…そんなにもディズニーマジック=現実からの逃避力は強力なのだ。

そしてディズニーランドから送られてくる、ほとんどの写真は、まさにそのディズニーマジックというコーティングがかかっている。

アクリルで漂白されたような彼らの写真は、綺麗で安全でそしてちょっとだけ現代という病がかっている。

僕はほとんどディズニーランド関係の写真や映像はもって無くて、また持ちたいとも思ってなかったが、そんな僕が、この写真集「DREAM」に限っては一読してすぐ本屋のレジに持っていくことになり正直びっくりだ。

ディズニーランドが「時代の現実」として描かれている。

今までディズニーがかたくなに許さなかった、ディズニーマジックがはぎとられた生ものとしてのディズニーランド…

当代最高峰の写真家たちが、世界観と技術とそしてその「意志」によってディズニーランドを「ヌード」にしている。

これまでディズニーランドの写真は、いつもその「夢と魔法」によってコントロールされてきた。

そして、たぶんディズニーランド史上初めて、ディズニーランドはその「夢と魔法」を解除され、僕たちの「時代の現実」として写真集のなかに再登場している。

それは思いのほかに美しい。

ディズニーランドの世界観は、コントロールされた完全な世界への固執だ。それは不安な現実に対する鏡写しの理想郷として今後も長らく続いていくだろう。

コントロールされた安全の中に住むか、不安な現実と向き合うかはそれぞれの人の選択だ。

だがこの写真集を見る限り、本当の「DREAM」は、やっぱり「時代の現実」の中に探すしかないのだろうと思う。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-08-16 23:14 | 本の紹介

本の紹介…「おかしな男 渥美清」 小林信彦著

すべての人間は、できることなら自分のやりたいことだけをやって生き、自分の好きなことを仕事にしたい、そして自分の才能を100%発揮して「その他大勢」でない特別な人になりたいし、少なくともまわりからせめて軽くあしらわれるようなことのない人間になりたいと考えている。

と同時に最近思うのは、競争で身もフタもなく勝敗が決まるこの市場社会で本当に必要なのは、「やりたいことをやること」や「才能を見つけて伸ばす」ではなくて、この市場社会で「いかにして死なないで生き続けていくか?」ということではないかということだ。

なまじっかな収入を得ていても、ほんの少し社会状況の変化すればたちまち生命の危険に直結するのが、低成長時代に入った日本の実情だ。

特に日本は、低成長時代に入ってからの期間が短いので、北欧などの高社会福祉国に比べて、人が「死なない」ためのセーフティネットが格段に弱い。

この、「死なない」ということは、文字通り「肉体的に死なない」という意味もあるが、もう一つ重要なのは「社会的に死なない」ことだ。

人は仕事によって自分が何ものであるかを確認する。人は「いつでも誰かが代わることができる仕事」をしている限り、自分は他の誰でもない自分自身である、という認識を持つことができない存在なのだ。

渥美清は、私たちにとっては下町の人情家「寅さん」を演じた泥臭い俳優に過ぎないが、彼は、実はもともとハリウッド映画的なモダン・コメディアンを目指した芸能界の野心家だった。

彼は、野望と才能を発揮し、いつもテレビ局とのコネクション作りを欠かさず、結核で片方の肺を失った虚弱な体に折り合いをつけ、そして電話機しかない狭いアパートを孤独な作戦基地にしてそれでも成功の階段を上っていった。

一時期は、植木等のライバルと見なされるほど、演技、ものまね、ギャグともに突出したタレントだったが、あまり人を信用しない剣呑な性格と、テレビ的に受けるための「可愛げ」の無さ、なにより「現代的でない風貌」が壁になったのだと思うがテレビの世界では結局失速していった。

モダン指向の渥美清にとって、「寅さん」の世界観ほど、コメディアンとしての理想像から遠いものはなかったのではないか。最初の頃こそ俳優としてのチャレンジ精神を刺激されただろうと思うのだが、まさか残りの半生を「架空の下町」葛飾柴又で「人情家のフーテン」として生きることになろうとは…

若き渥美清には才能もあったし、努力もあったし、野心もあったし、運もあった。しかし近代化していく日本の中で時代に遅れていくという「宿命」を乗り越えることはできなかった。しかしそれでも彼は「死なない」ために、最後まで泥臭い世界の住人として生き続けた。

人は自分の才能や生まれ落ちた家族や社会、そして時代という「宿命」とどう向き合って生きるべきか…人は常に「自由意志」と「宿命」のはざまで嵐の中の小さな舟のように揺られている。もしできれば、可能であるならば、「宿命」に勝って「誰でもない何か」になるために。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-02-05 22:27 | 本の紹介

本の紹介…「『みんなの意見』は案外正しい」J・スロウィッキー作

考えてみれば「民主主義」というのは、スロウィッキーの言う「みんなの意見は案外正しい」という法則をそのまま政治に生かしたものと言える。

また「資本主義」というのも結構、この「みんなの意見は案外正しい」という側面が強い。

たとえばここ10年の日本の株価を見ても、バブル後の暴落を経て上昇し始めたのは小泉政権が構造改革をスタートした時で、再び下降し始めたのが安倍政権のもとで郵政民営化の反対議員が復党を許された月だ。

日本で動いている投資資金の7割は国外資金だから、世界的な「みんなの意見」として、構造改革の意志を失った日本経済は「売り」になっているわけで、悲しいことだがその判断はおそらく正しい。

と同時に「みんなの意見は案外正しい」…とばかりは思えない例も「案外」多い。

たとえばもとも限りなく民主制に近かった古代ローマがその中期から帝政という一種の独裁政治を選択するのも、直接民主制度で「みんなの意見」ですべてを決めていたギリシャが、結果的に「みんなのワガママ」の集合体になって衰亡していったのを反面教師にしたからだ。

身近な実感としても、自分の会社の経営判断がすべてスタッフの多数決によっておこなわれたらどうだろう。どうにもうまくいくようには思えない。

いったい「みんなの意見」は案外正しいのか?、正しくないのか?この本結構難しいが、インターネットによって「みんなの意見」が社会的な武器になった現在、それを振り返ることは「案外正しい」と思う。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-10-07 10:29 | 本の紹介

本の紹介…文藝春秋社刊 「チーズ図鑑」

時々わけがわからないほど強い存在感を発している食べ物があります。目にした瞬間からこれは食べ物以外何ものでもないだろうと感じさせる食べ物たちです。

僕にとってそれは例えば「バナナ」です。僕はバナナを見るたびにその食べ物としての存在感にあきれる思いをします。

薄い皮で覆われているだけで中身はまるごと甘くてやわらかい果肉。タネすらはいっていなくてその果肉のすべてが丸ごと栄養の固まり。その上皮をむいていくと、なんとその皮までが、僕たちが手をよごさずに食べることができるための取っ手になってしまうという…

僕はバナナを最初に一囓りするたび、「ああバナナという存在は、本当に食べられるためだけに生まれてきたのだなあ」などとひとしきり感慨を感じてしまいます。

僕にとってのもう一つの「絶対食べ物」、それはチーズです。

チーズもバナナ以上に、その食べ物としての存在感を、形、色、におい、味、そして質感などそのあらゆる面から漂わせる、食べ物中の食べ物です。僕にして見ればその名前の響きだけで唾液が分泌される類の食べ物です。

もちろんチーズはその視覚的な存在感の強さだけではなく、タンパク質、カルシウム、ミネラルの集合体である動物のミルクを、いつでもどこでも食べられる保存食に転換した正真正銘の完全栄養食品です。

「チーズ図鑑」は初版が1993年。にも関わらず現在でも増刷され続けている、その名の通りチーズだらけの図鑑です。総計435種類、8割がフランス、2割がその他各国のチーズを1984年からほぼ10年間に渡り取材した大作です。

何が凄いといって、ページを開いても、ページを開いても…まああたり前のことですが、そこにはチーズ、チーズ、チーズなわけです。

チーズの全体写真、内部を見せるために三角にカットした写真、熟成される前と後の写真、ミルクの種類、産地、歴史、そして言葉と取っ組み合いをした上に組み立てられたその味わいの表現…

一言で言えば「チーズ好きにもほどがある」本なのですが、ただ眺めているだけでこんなに動物的に食欲を刺激される本も珍しいわけです。ダリの「蕩ける時計」のモチーフになった蕩けるチーズの写真も満載で、著者が噛り付く思いで取材している様子が実感されます。

現地に住みこんでいる日本人が主にヨーロッパ全域を股にかけて取材し、1000種の中から厳選して選んだチーズたちですから、どれもこれも写真だけでも魅力的なのは当たり前ですが、チーズを通した歴史の風景も感じられる楽しさもあります。

5000年前からの歴史があると言われるチーズ、本格的に流通し始めたのはやはりローマ帝国が隆盛を誇った時代で、ローマの食文化の薫陶を受けた修道士たちがヨーロッパ各地に散開してチーズ文化を各地に植えつけていったのです。

ですから、その修道院の名前がついたチーズも数多くあり、なぜかその名前まで強烈に「うまそう」に聞こえるのが不思議です。パンをキリストの体、ワインをキリストの血として行う聖餐の儀式に見られるように、人間の生命と聖性を融合させる文化がその背景にあるからかもしれません。

チーズによってはある村のひとつの場所だけでつくられていて、そこに行かなければ食べられないものも掲載されていて、インターネットのお取り寄せなど受け付けない贅沢感もこの本のたまらない魅力と言えます。

ちなみに人間の精神状態と食欲は密接にリンクしています。

ストレスや過剰なプレッシャーにさらされると人は食欲という根元的欲求すら低下させてしまうほど神経優先の動物です。見方を変えれば現在の社会的プレッシャーは、過敏になった神経が本能の欲求を抑圧してしまうほど複雑かつ巨大なものになっています。

チーズを見て食べたくてたまらなくなったり、あるいはその逆にその強烈な臭いを連想して見るのもいやになるような欲求がある時、私たちの神経は健全でバランスがとれています。逆にもしこの「チーズ図鑑」を見て、お腹のあたりが何も反応しないようであれば、こころが疲れている証拠かもしれません。

そんな本能のリトマス試験紙「チーズ図鑑」は、チーズとワイン好きの日本人女性3人が、10年と言う年月をかけてつくりあげた、「究極の豊穣体験マニュアル」です。ぜひご一読を。そして本能においしい「喝」を入れてあげてください。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-08-23 20:24 | 本の紹介

DVDの紹介…周防正行監督作品 「それでもボクはやってない」

「Shall we dance?」の大ヒットを持つ周防正行監督ですが、彼のことを語るにはまず「マルサの女」で有名な故・伊丹十三監督のことから始めなければなりません。

周防監督は、伊丹作品の助監督出身で「マルサの女」「マルサの女2」「ミンボーの女」などのメイキングビデオの制作監督でもあり、一部では本作よりメイキングビデオの方がおもしろいのでは?と噂が立つほどその才能が話題になる存在でした。

僕自身もまだ周防さんの名前をほとんど知らないまま、ドキュメンタリー性と娯楽性を見事に融合させているそのメイキングビデオの作品群を夢中になって視聴していたものでした。

「Shall we dance?」にいたるその後の映画監督としての活躍は多くの人に知られているところですが、僕が関心があるのは周防監督の「Shall we dance?」後の「失われた(ように見える)10年」です。

周防監督は「Shall we dance?」という大ヒット作品を成功させたにも関わらず、その後10年間映画を撮っていない…

しかし「Shall we dance?」にいたるまで倍々ゲームでヒット作を作り続けた監督に制作の依頼や要請が無いはずがない。また作品性の高い周防監督に表現したいテーマや企画が無いということもあり得ない…

ならばこの空白期間はなんだろう?

周防作品のファンである僕は、風の便りさえもない周防作品の空白期間に時々そんな思いを持っていました。そしてその長い長い10年間が過ぎた後発表されたのは、「それでもボクはやっていない」というなんとも愚直で地味なタイトルの作品だった…

しかし僕はその後DVDを買って繰り返し視聴するほどこの作品のファンになります。

そしてそんな自分の内面の変化とともに周防監督の、この「失われた(ように見える)10年」こそ、人が「やりたいことをやる」ということの本当の意味をはっきりと示すものだと感じるようになります。

なぜ周防監督は10年もの長い間、映画を撮らなかったのか…

あくまでも私見ですが周防監督の「失われた10年」は、伊丹十三監督の「自死」という事件に端を発していると感じます。

ヒットメーカとして知らぬ人のいない伊丹十三監督ですが、実は彼は映画制作を始める随分前から、心理学者岸田秀氏に傾倒し、彼との対談を著作として発表するほど心理分析に傾倒した人でした。

岸田氏は、義母との支配的な愛情との葛藤から自らの治療を踏まえて心理学に飛び込んだ学者です。

臨床に携わらず従来の心理学にはない概念を駆使する方法論には批判も多かったのですが、愛情に裏打ちされた承認を得ることができなくなった、現代の親と子の問題に切り込む視点はとても新鮮なものでした。

伊丹万作という偉大な父親に無意識にコンプレックスを感じていた気配が強い伊丹監督も、そんな岸田氏の経験や視点に共感を覚えていたのではないかと思います。

伊丹さんの演技、著作、そして映画作成での尋常ではない完璧さの追求を見るにつけ、成育のプロセスで本当の意味での承認を受けることができなかった人間の、不安と焦燥にいろどられた神経症の深淵を見る思いがします。

しかし伊丹監督は俳優という受動的な職業の限界を超え、自分の才能を全開できる映画監督として成功の巨大な果実を得ます。伊丹監督は、映画をヒットさせることによって、自らの父親を超える「完璧な他者評価」を受けることになります。

しかしそんな絶頂期にも関わらず、周防さんのメイキングビデオは、伊丹監督の、世界を完璧で切り裂くような、張りつめた神経を感じさせる撮影風景を映し出していました。

偶然生まれる爆発的な演技すら、すべてのプロセスの先を読んで自分の完璧な計算の内に生み出そうとするその姿勢は、口元に浮かべた微笑みにも隠せない、刃物の上を裸足であるいているような緊張感に満ちたものでした。

そしてまるで宿命のように転換期が訪れます。

「ミンボーの女」「大病人」「静かな生活」をへて「スーパーの女」…このあたりで僕は伊丹監督が「自分のやりたいこと」と「他人に評価されたいこと」の境界線を喪失し、「何をつくるべきなのか」を見失いつつあることをはっきりと感じていました。

「マルタイの女」にいたって、ストーリーにテーマ性や人間性がほとんど感じられなくなり、衣装などの美術も、美麗を通り越してグロテスクなものに変質していました。

また取材に来た雑誌記者に、あろうことか「どんな映画をとったらみんなに見てもらえるだろうか」と質問したなどという噂が語られている状況に、伊丹さんの内面の荒廃を目の当たりにする思いで息を詰めたことを今でもはっきり思い出します。

その後僕から見れば必然的に「自死」を選んだ伊丹監督に対し、メディアの表面的な賛辞や追悼は耐え難いものでした。

ただひとつ伊丹監督への本当の意味での追悼の言葉として救いを感じたのは、その当時脳梗塞からの復帰を実現させていた映画監督大島渚が、ワイドショーの追悼コーナーで発した言葉でした。

「私が伊丹君に今いいたいのは一言、『君はあのマルタイの女という作品が君の最後の作品でいいのか?』ということです。伊丹君は本当に自分の作りたいものを作っていなかった。本当につくりたいものをつくるためになら作家はどんな苦しみにも耐えられるものです」。

人によっては死者にムチ打つと言われる言葉かもしれません。しかしその言葉はたぶんその瞬間伊丹監督が最も聞くべき、そしてもっとも聞きたい言葉であったと僕は確信しています。

精神分析療法や仕事での自己実現によって、自らの神経症を克服したかに見えた伊丹監督の「自死」は、その著書を読むことで彼の苦しみを共に追いかけていた僕にとっても大きなショックであり、それだけに大島監督の自らの生き方でもって証明をしているその言葉は深く胸に響くものでした。

周防監督はその伊丹監督の生き様をそのまま目にし、そしてある時期まさに重ね合わせて生きてきた人です。ですから周防監督の、特に初期の作品は、伊丹作品と重ね合わせられるほどその味わいが似ている。

それなのにというかだからこそというか…周防監督はおそらくはそんな伊丹監督をよく知っていたからこそ…伊丹監督とは違う道を選択したのだと感じます。

10年間アイデアと才能がある作家がひとつの作品もつくらないというのは、自分の存在証明をすべて失いかねない危険性がある行為ですし、たぶんヒットだけを目的にした作品を作らせるためにお金を出す映画会社はいくらでもあったはずです。

しかし彼は作らなかった。

なぜなら彼は作家にとってもっとも大切なことは「自分のつくりたいものを作り続ける」ことであって「他人に評価される」ことではないこと、それどころか「自分の作りたいもの」を見失うことが作家としてそして人間としてどれほど危険なことか痛いほどを認識していたのだと思います。

「自分の作りたいものを作る」…その軸を失ってしまえば「作家」はその存在意義を自ら消滅させてしまう…

そしてつくられた「それでもボクはやっていない」は、配役を見ても、題名を見ても、そしてタイトルを見ても、どれひとつとしてヒットの予感が無いものばかりです。にもかかわらずこれがとてつもなくおもしろい作品であるから世界はおもしろいと思うのです。

主人公のフリーターの青年が、就職のために面接を受けるその朝、痴漢のえん罪を受け、そこから日本の司法という迷宮に迷い込んで、葛藤し、戦い、成長する物語です。

特に主人公をサポートする、同じくフリーターでパチンコ好きの友達が、事件との直面を通して、専門家なみの自信で法律の解釈を話し始める居酒屋のシーンは、何か日本のこれからの希望のあり方の一端を暗示しているようで、僕の一番好きなシーンです。

日本が国家として成熟したがゆえに生まれてきた社会の無数の歪み、複雑にからみあい人間のエネルギーを見えないところで奪い去る社会の強烈な捻れを、正確に、シンプルに、そしておもしろく描いた傑作です。

基本的に映画は娯楽ですが、時おり人の生き方や社会を変えるほどの威力を持った作品が、意志と才能のある作家から生まれるような気がします。

周防正行監督作「それでもボクはやっていない」が、DVDのレンタルショップで思いのほか多くの人に借りられているのを見る度、その思いが僕の中に去来します。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-08-15 20:02 | 本の紹介

本の紹介…サイモン・シン著 「暗号解読」

暗号のことなんかまったく知らなかったわけです。もっと言えば興味もなかった。もちろん暗合解読の才能もありませんから、さすがにこの題名の本買うか買わないか迷った訳ですが読み終わった今僕がどうなっているか。

暗号が「分かる」んですね。暗号の「事」が分かるじゃなくて「暗号が分かる」ようになってる。前作「フェルマーの最終定理」の時もそうでしたが、三世紀の間証明されなかった難解極まる定理のことが「分かる」。いくらなんでもサイモン・シン作品のこの「分かりやすさ」尋常じゃ無いと思うわけです。

ローマを勝利に導いたカエサル暗号、連合軍を苦悩させたナチスドイツの暗合機「エニグマ」、事実上解読不能な量子暗号…出てくるテーマはどれも神話的、歴史的、未来的であり、要するに普通なら少々好奇心を刺激されてもそれ以上に理解を深めることなどできないものばかりなのですが…

そんないろいろな暗合の「構造」「作り方」そして「解読の仕方」まで…なぜかは分からないがそれらが「分かる」。

暗合を巡り苦闘健闘する天才達の人生も丹念に書かれています。

「エニグマ」暗合を解読して第2次世界大戦の終結を数年早めた(と言われる)悲劇の数学者アラン・チューリング。インターネットセキュリティーを先進させたデジタル世界のヒッピー野郎ホイットフィールド・ディフィー。量子コンピュータという考え方そのものを「発明」したまるでティム・バートンの映画に出てきそうな容貌のデイヴィッド・ドイチェなどなど…

彼らの才能や考え方そして生き方に触れることができるのも魅力ですが、何より彼らとともに「暗合を解読」する快感を共有できるほど暗合が「分かってしまう」ところがやはり本書の醍醐味です。

要するに著者サイモン・シンの「分かりやすさ」の凄まじさということなんですが、この「分かりやすさ」こそ僕にとっては本書に登場する数々の暗合に勝るとも劣らない「解読不能の暗合」です。

暗合を自由自在に作ったり解読できたりできるようになりたい人(そんな人…あんまりいませんね)と分かりやすい表現について洞察を深めたい人…必読の書です。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-06-22 22:19 | 本の紹介

DVDの紹介…マイケル・マン監督作品 「コラテラル」

ちょっと前に一度見ていてそれを忘れて中古のDVDで買ったのがこのマイケル・マン監督の「コラテラル」で、今回は逆におもしろくて何回も視聴するほど見応えがあり、忘れていたのが不思議なほどキレとテーマを感じる作品です。

あえておもしろさを言葉にすれば「動き」と「意志」でしょうか。

酷薄だけれど哲学的な暗殺者ヴィンセントと彼の仕事に巻き込まれた「夢」に逃げ込む平凡で人の良いタクシードライバーマックスが、一夜の中で繰り広げる研ぎすまされた「友情」物語ですが、まず目に飛び込むのはヴィンセントに扮するトム・クルーズの「暗殺のプロ」以外の何者でもない「動き」です。

「構え」「打ち」「去る」銃の演技は特に出色で、意外に人間っぽい内面とのギャップをノンバーバルで見事に照らし出します。うまくいっている時も窮地に陥っている時もその「決めて」「やる」に瞬髪の間もなく、そこになにか彼が「決めた」あるいは「決めざるを得なかった」生き方が表現されていて、物語が進むに連れどこかこの暗殺者に共感させらていきます。

巻き込まれたマックスことジェイミー・フォックスの「動き」も見事。人は良いが「夢」を行動に移せない「弱さ」を、歩き方、しゃべり方、撃ちたくもない銃の撃ち方で的確に表現しています。そして暗殺の仕事に巻き込まれるという災難の中で、ある意味ヴィンセントから(そして自ら)生き方を学び、弱さの中でもがきながらも「決意」して「行動」する平凡な人間の健気さが表現されています。

映画の後半2人の「動き」はなにか「意志」とでもいうようなものに集約されていきます。彼らはそれぞれの生き方の限界を踏みしめながらそれでも「動き」続けます。ハッピーエンディングでは無いけれど「動き」の先にある「意志」あるエンディングをぜひお試しください。

研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2008-06-20 00:10 | 本の紹介

谷川俊太郎の33の質問

谷川俊太郎氏が友人、知人に33の質問をして、それに答えてもらうとい内容。

答えに個性が現れとてもオモシロイです。

岸田今日子氏が7番目の質問
「前世があるとしたら、自分はなにだったと思いますか?」

「あなぐま」とか、そういう冬眠性だろうと思う。

とか答えています。

ちくま文庫より出版
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by y-coach_net | 2008-05-29 09:31 | 本の紹介