ブログ… 「コーチはリーダーである。リーダーはコーチである」
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<   2009年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

挨拶論 (16)

◆存在承認の使い方

相手の存在を承認する視点から挨拶の方法を見よう。

僕たちは、他人と遭遇した場合、

①この人は何者だろう?
       挨拶するべきかしないべきか?まずは観察、観察

②あ、お隣さんだ。いつもどうり…「こんちは」

③取引会社のちょっと無愛想なスタッフだな。
                    クールに「お世話になります」

④さーていつも話を聞いてくれる上司だ。
            こっちから元気に「おはようございます!」

⑤久しぶりの友達との飲み会だー!
                    楽しみだから「お疲れー!!」

⑥遠距離でなかなか会えない彼女とデート。
            思わず目を見てしまうなー「元気だった?」

というようないろいろな温度の挨拶をすることになる。

この違いは、僕たちがその時相手に伝えたい存在承認の温度の違いによるもの。

例えばパターン1の場合は、存在承認そのものをするべきか、しないべきか、相手は自分にとって安全な人間か、危険な人間かを判断している段階だ。

現実社会では、すべての人間の存在を承認するわけにはいかない。相手が悪意をもって僕たちに接してくる場合もあるし、それが肉体的、精神的に危害をおよぼすこともありえる。

だからパターン1の、存在承認をするかしないかという判断は、挨拶を進める上で必要な、高度な意志決定なのだ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-26 18:08 | 黒木さんのコーチング

今日を生きるコーチングの言葉 9

「勝負は勝たなきゃいけない。それが社会の常識だ。
しかし負けることも悪いことではない。負けても手に入るものがある。
もっとも悪いのは…勝負をしようとしないことだ」 
…漫画家 福本伸行の言葉


今、活字本は売れなくなっているという。

一方漫画の世界は対照的だ。

書棚を見渡しただけでも、問題作、話題作、ベストセラー、そして名作が積みなっている。

最近新刊を楽しみにしているのは福本伸行の漫画だ。

死ぬまで人生を保留し続ける「現代人の病理」を描く…「カイジ」。
生きること、勝負すること、そして人の欲望の怖さを問いかける…「アカギ」。
そして「いかに死ぬか」を、あらゆる感傷をそぎ落とし、生き方として提示する…「天」。

福本作品に書かれているのは、文学的、商業的な虚飾をはぎとった「ほんとうの話」だ。

成熟社会を達成した日本は、高度経済成長には許されていた「理想の未来」を失い、人はこの社会の「ほんとうの話」を聞かなければならなくなった。

「理想の未来」が失われた時代は、弱者にとって過酷な時代だ。

実力や才能のある人間が世の中のよいものを手に入れ、そうでないものはメディアや商品によって提供される、まがいものの幸福をあてがわれて生きるしかなくなっている。

人はその厳しい現実から逃げ「人生を保留」し「勝負をしない」で生きて死ぬ。

そんな「薄く死んで」いく現代人に漫画家福本伸行が送るメッセージはひとつ

「気づいて変われ」。

現代人必読。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-25 13:19 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (15)

挨拶は他者の存在を承認する、もっとも簡単で効果的な手段だ。

挨拶には

1.挨拶とは相手との距離をとること
2.挨拶とは相手に協力の意志を示すこと
3.挨拶とは相手に敵意が無いことを示すこと
4.挨拶とは相手と利害を共有すること

などいろいろな役割があるが、そのもっとも現代的な役割は

5.挨拶とは相手を承認すること

だろう。

現代の挨拶は、礼儀でもなければ、社会常識でもない。しつけるものでもなければ、仲良しグループの馴れ合いに使うものでもない。他者の存在を認め、それを相手に伝え、新しい時代の効果的なコミュニケーションを行うための道具として新たな方法で使うべきものだ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-17 21:35 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (14)

◆存在を承認されるということ

じゃあ、人は孤立を求めているのか?孤立の中で他人に傷つけられず、他人を傷つけずに生きる生き方を選択したのか?

もちろんそうじゃない。むしろ逆だ。傷つけられないために孤立するという選択は、よりひとりひとりの不安を強めてしまった。人は他人を鏡にして自己を確認する存在だ。孤立することは、実は自分が消滅することにほかならない。

現代は、多くの人が傷つきたくないために孤立を求めながらも、同時に、孤独から逃れるために他人との関係を求めるという、関係の矛盾の時代だ。そんな時代の中で、人がその内面の奥深くで切実に求め始めたこと、それは…

自分の存在を他者から承認される…ことにほかならない。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-13 11:52 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (13)

今、人は、何が正しくて何が間違っているか、何が美しくて何が醜いか、何が大切で何が不要なのか価値が混乱した時代を生きている。いろいろな価値がもてはやされては消費され、その瞬間瞬間にあっというまに陳腐化していくのだから、価値の相対化もムリない。

だから今は、誰が誰に挨拶するのか、何を挨拶したらいいのか、どう挨拶するべきなのか、誰もわからなくなっている。今まで与えられていた挨拶の常識をみんな信用できなくなっているし、そもそも挨拶は、危険なんじゃないかと思い始めている。挨拶の価値も相対化してる。

都会の地下鉄の人々の表情を思い浮かべてほしい。単なる無表情ではなく、無表情の上にさらにもうひとつ仮面をかぶせたような無表情…それが今日本で不特定多数の他人とふれあう場所での標準的な表情なのだ。その表情の前では挨拶も途方に暮れるしかない。

地下鉄の無表情は、今の日本人の心象風景を象徴するひとつの典型だが、そんな無表情は当然、人をするどく冷たい壁で孤立させる。誰が悪いわけでは無いのだが、豊かになった日本では、自分や他人を孤立させることによって自意識を守る世界を選んでしまった。

今挨拶はそんな時代のまっただ中でたたずんでいる。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-11 22:38 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (12)

挨拶はなぜ難しくなったのか。

ひとことでいうと日本社会の価値観が相対化したからだが、この言葉がちょっとわかりにくい。

みんなが一緒に信じられる正しさや美しさがなくなった、信じていた人や物の価値が錯覚だったことに気づいたということだが、要するに社会の現実を裏表まで知って、みんな一緒に信じられるような、理想や目標がなくなったということだ。

たとえば、僕の父の若い時代には、「末は学者か大臣か」という言葉が残っていた。学者とか大臣は、みんな共通のあこがれの職業だった。たぶん地方都市で秀才と言われた人は、その多くが政治家や官僚や研究者を目指したのだろう。

今ならベンチャー起業家や女優だろうか?「末は学者か大臣か」から「末はベンチャー起業家か女優か」…これが高度経済成長を終えて近代化した日本の価値観の変化だ。

高度経済成長時代は日本史上もっとも一発逆転できた時代だった。だから、あまり積み重ねなくても楽に成功する道があって、実際に成功して逃げ切った人達もたくさんいるのだ。

ところが、またまた時代は逆転する。

もう日本には高度経済成長は来ない。けれどメディアでは、個性や才能や容姿で、一発逆転の成功をしている人たちがいまだ輝いているように演出されている。と同時に、ほとんどの人間にはは積み重ねしかないことにも、みんな気がつき始めている。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-06 11:27 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (11)

◆挨拶の今

今挨拶は難しい。

特に現代の日本では、人間関係や上下関係など、場の雰囲気を顕微鏡のように読み取る能力が要求されている。そしてそれができない人間は陰に陽に集団から疎外されることになる。で、なら黙っていよう、静かにしていよう、というわけだから挨拶も難しくなるはずだ。

戦時中から高度成長時代まで、挨拶は簡単だった。挨拶にはもともと上下関係をはっきりさせる機能がある。だから戦時中、国家はそれを積極的に利用した。戦争に勝つという目標のもと、国家をひとつの仲間にまとめるために挨拶は便利な道具だった。

高度経済成長時代も同じ。戦争に勝つことから豊かになることに変わったが、そこには国全体の目標があった。みんな貧しかったから協力しないと生きていけないし、仲間意識も上下関係も大切だった。だから挨拶がとても重要な役割を演じていたのだ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-03-04 10:03 | 黒木さんのコーチング