ブログ… 「コーチはリーダーである。リーダーはコーチである」
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<   2009年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

挨拶論(23)

◆挨拶とイジメ

挨拶というのは、いとも簡単にイジメの道具になる。もっとも強力な武器は「挨拶をしない」という攻撃の仕方だ。

お互いが挨拶を交わすことがあたりまえの場所で、「挨拶をしない」あるいは「挨拶をしても挨拶を返さない」(あるいは雑な挨拶で応対する)のは、相手への強力な攻撃だ。

あるいは逆に、「過剰に丁寧な挨拶をする」という攻撃のしかたもある。この場合「丁寧な挨拶」は実は「私はあなたと親しくなるつもりはない。逆にできるだけ遠い距離を取りたいのだ」というメッセージをノンバーバルで伝えることになる。

「相手の存在を承認する」ための挨拶が、「相手の存在を否定する」ための道具になるのだ。これはきつい。

すべての人に、熱い存在承認の挨拶をするのは危険だし、不可能だし、ムダでもある。しかし温度設定はそれぞれ状況に応じて変えるにしても、基本的には心理的、物理的に近い人には、ある程度の挨拶=存在承認をする方が安全だ。

さらに言えば、この挨拶を逆に使っていけば、イジメをストップする防御柵にもなるのだ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-30 21:29 | 黒木さんのコーチング

挨拶論(22)

⑥の挨拶は「私はあなたがそこにいることを知ってますよ」を越えて、「私はあなたがそこにいることを認めてますよ」も越えて、承認の最上位に位置する言葉だ。

「私はあなたがそこにいてくれて嬉しい」…

残念ながら日常生活でこういう挨拶に遭うことはめったにない。恋愛関係や親子関係、あるいは強い信頼で結ばれた友人関係など、個人的な関係が深まった領域で生まれてくる声かけだから、道すがら会う人たちとこんな挨拶を交わせないのはムリなのは当然だろう。

むしろ日常生活でこんな挨拶を展開していると、身の回りに危険を呼び込む可能性があるとすら言える。目的なく声をかけたり挨拶してくる人間は、一応前提条件としてなんらかの商業行為を持って接してくる場合が多いので、挨拶ひとつが大きなコストにつながることもあるのだ。

だが実はこの⑥の挨拶を、利害関係を前提とせずに交わすことができる場所こそ、挨拶がその本来の力をもっとも発揮できる環境なのだ。

なぜなら挨拶は、その本質が「存在承認」にあり、「存在承認」とは相手の価値を言葉や態度で伝えることであり、人間はそんな言葉や態度を示してもらって初めて自分の生命に意義を感じられる存在だからだ。

繰り返しになるが、ごく個人的な関係をのぞき、なかなかそういう挨拶に出会うことは無い。

だからこそ…

だからこそ…私は相手の存在を嬉しく感じている挨拶で身の回りの環境を整えたいという欲求が強くなり、困難なこととは知りながらその実現に力を費やすことになる。

人は他人の承認をこころの食べ物にして生きる存在だ。私はいつも、いかにして自分の身の回りをこの食べもので満たすかを考えているように思う。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-24 10:08 | 黒木さんのコーチング

挨拶論(21)

⑤はもっとも気楽な挨拶だ。

気楽なのは関係が友達だからという理由だけではない。挨拶の目指す目標が単純で明確だからだ。

⑤の場合の目標は「みんなで楽しむ」。だから「お疲れー!」という言葉を交わし、「僕は君がそこにいることを認めているよ」というメッセージを真っ先に伝え、お互い安心してその場を楽しむことができるようにするのだ。

目標が明確な場合や人間関係が単純な場合、挨拶は比較的簡単になる。軍隊では、常に部下から上官へ挨拶が行われ、それに上官が答える。これも目標は単純で、どちらが命令してどちらが従う立場なのか、繰り返し確認して作戦の精度を高めているのだ。

このへんが曖昧だと、突然人間はどんな挨拶をするべきなのか、不安になってくる。

例えばコンビニエンスストアで、妙に丁寧な挨拶をするのはあきらかに場違いだ。だから多くのお客はだまっているか、ほどよく無愛想に店員に接する。店員の方もにこにこはっきり挨拶をされればおそらく困るはずだ。

なぜならコンビニエンスストアは、「孤独にはいやだけど親しくなりたくない、親しくしたくないけど孤独にはなりたくない」という、現代人が集まる場所だからだ。

そういう意味で「お疲れ様!」はかなり便利。もちろん目標がはっきりしている時には使えるし、またお互いの立場や上下関係が曖昧な場合でも、軽めにほほえんで「お疲れ様です」と言うのであれば間違いが無い。

「お疲れさま!」「お疲れ様…」「お疲れさまー」「お疲れ様です」など非言語のニュアンスを換え、丁寧語や普通語を入れ替えれば、ほぼ万能の「アイスブレイク」になる。積極的な活用がおすすめ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-18 02:19 | 黒木さんのコーチング

挨拶論(20)

人間は不完全で不安定な存在だから、「等距離の利害と好意にもとずいた挨拶」を「全員」に行うというのは、実は至難の技だ。バーバルで等距離の挨拶に成功しても、多かれ少なかれ相手への好き嫌いはノンバーバルで露わになる。それが積み重なってマイナスの意味での小さな集団に分裂していく。

それが人間の自然だからこそ、「等距離の利害と好意にもとずいた挨拶」を行うにはある種の「強制力」が必要になる。武道や格闘技の道場やジムあるいは体育会系のクラブなどで、挨拶という「礼」を最初に教育する所が多いのは象徴的だ。

武道や格闘技というのは、もともと他者に勝ちたいいという動物の原始的な本能から生まれた文化だ。人間の場合その本能にさらに思考が加わって、自分が属する集団を支配したいという複雑な自意識を生むことになる。

もしその自意識をそのまま放置して、武道や格闘技の技術だけを習得させたとしたら…おそらくはすぐさま集団として収拾がつかなくなるだろう。

まずは、最初に自分の自意識を抑制することを覚えさせる。それが武道や格闘技における「挨拶の習得」の目的で、そして、その抑制力を使って自らの競争心を集団のエネルギーとして生かしていく…

数は多くないが、そういう集団が持つエネルギーは一目見るだけでも明るさを感じさせるものだ。

格闘技やスポーツジムやスポーツクラブの優劣は、そこのリーダーが「等距離の利害と好意に基づいた挨拶」を自ら行っているか、そしてメンバーにそれを良い意味で「強制」できているかどうかを見るだけでも簡単に判断できる。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-14 11:02 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (19)

④は存在承認としてもかなり積極的になってくる。利害関係と同時に人間的にも好意をもっている、ということを示すレベルだ。

このレベルが高いと職場や学校、そして家庭も居心地の良いものになる。人は自分に好意を持ってくれる人の役に立ちたいという欲求をもっている。だから好意に根ざした人間関係が構築されれば、生産性も上がる場合が多い。

しかし、好意に根ざした人間関係には盲点があって、それは好意をもった同志だけで小グループ化する傾向があることだ。④のケースで言えば、その上司を核とした小グループが生まれ、他の上司のグループと対立すると可能性がある。

要するに派閥ができるといういうことだが、ある程度の小グループ化は人間が集団で生活する動物である限り避けられないし、競争がいい結果を生む場合もある。しかしそれが派閥と呼ばざるを得ない状況になると…

馴れ合いやイジメの土壌が生まれて、結果的に健全なコミュニケーションが障害されてしまう。言いたいことが言えないのはまだいいが、言うべきことが言えないほどこの偏りが強くなると一気に仕事のリスクは高まっていく。

だから好意にもとずいた挨拶をすることは良いことだが、同時にそれを「全員」が「全員」に行うという、その集団の強い合意や意志が必要になる。この土壌を作るの簡単ではないが、それは生産性という点でも職場風土という点でも大きなメリットがある。

等距離の利害と好意にもとずいた挨拶は集団が目指すべきひとつの理想だ。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-10 22:54 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (18)

③の「お世話になります」というのは不思議な言葉だ。

親しくもないが、疎遠でもない。またどちらかと言えば私よりも公の関係で、だからといってあまり疎遠にしたくない相手がいたとき、そのとき「お世話になります」が登場する。

ちょっとした利害関係があるわけである。仕事を通じて知り合う人間の多くは、この「ちょっとした利害関係」でつながっているのだ。

もちろん「こんにちは」でもいいのだが、それだとわずかに「近すぎる」ことになる。近づきすぎると、取引への客観的な対応がちょっとやりにくくなる。

ところがなぜか僕はここで「こんにちは」と言いたくなるのだ。「どうも」や「おつかれさま」や「お世話になります」より「こんにちは」。

ちょっと短く軽めに言う場合が多いけれども、どうも「こんにちは」から始めないとなぜか不安になるのだ。たぶん僕は「ちょっとした利害関係」を「ちょっとした人間関係」にしたい人間なのだろう。

だから職場でも僕はそうしているし、職場のスタッフも自然その形を踏襲することになり、結局それが職場の特徴になっている。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-07 22:44 | 黒木さんのコーチング

挨拶論 (17)

②は、存在承認の基本ポジションだ。

「私はあなたがそこにいることに気がついている」…人は利害関係の無い他人に対しては、「あまり馴れ馴れしくされたくない。でも無視されたくない」という、微妙なバランスを保ちたい本能があるので、相手の存在に気づいたメッセージを送ることで、近すぎず、しかし敵意をもたれない距離感を保つのだ。

存在承認のスタートラインは、実はある程度の距離を保つためのコミュニケーションの手段だ。ここをあまり積極的にとらえすぎると、他人に対して距離を保つための手段が、「なんとか距離を縮めなければ!」という、承認の強迫観念にとらわれることになる。

逆に、いくらあまり親しくなる必要が無い人だとしても、それなりの頻度で顔を合わせる相手に、全く承認メッセージを送らないのも危険だ。人はコミュニケーションのまったく無い相手を、潜在的な敵と見なす傾向があるわけだから、さりげなくちょっとクールぎみの挨拶を送っておくのが、大切なリスクマネジメントだ。

だから②の「こんちは」は、いつも懐に携えておきべき、コミュニケーションの標準装備ということになる。

…研修委員:黒木雅裕
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by y-coach_net | 2009-04-02 23:35 | 黒木さんのコーチング