Forefront=最先端のコミュニケーション
2008年 08月 13日
カールゴッチという昭和の有名なプロレスラーが「日本人はこの地球上で最もプロレス好きの生き物である」という名言を残したように、どういうわけか日本人はやたら格闘技が好きな民族であることはまちがいない。
なにしろ総合格闘技という、もともととてもマイナーな格闘技の分野を世界規模の競技に育て上げてしまったのだから考えてみればわけのわからない民族だ。
総合格闘技とは簡単に言えば、パンチを打つ、キックする、投げる、関節技をきめるなど格闘技のあらゆる技を使うことを許される競技で、誤解を恐れずに言えば「極限まで洗練されたケンカ」とも言える格闘技だ。
日本の柔術が源流となって世界を席巻し、ロシア、タイ、ブラジル、オランダそしてもちろん日本などのあらゆる格闘技のエッセンスを吸収しながらたぶん今世界でも最もその進化率が高いスポーツだ。
進化率で言えば、現在のコミュニケーションもその進化率は相当に高い。
インターネット、携帯、チャット、メール、新口語体の発生、旧口語体への回帰、コーチングそしてブログ。
国家としての共通目標や共通モラルが希薄になった現在、あらゆる人があらゆる手段を使ってなんとか他者とつながっていようとコミュニケーションを進化させ、情報というリングの中でその覇権を巡る争い現在進行形で行われている。
総合格闘技はプロレスが衰退し、ボクシングが弱体化した「格闘技の荒野」から登場した新しい文化だ。現在のコミュニケーションの進化も、市場社会のスピードが旧来のコミュニケーションを弱体化させた「意思疎通の荒野」からうまれた新しい文化だ。
進化した総合格闘技は場所をアメリカに移してまたあらたな最先端=forefrontを描き続けている。
仕事を超えて格闘技を作りあげる、こころが沸騰している人たちが、その生命を燃料にしてアスリートの新世界を作り続けている。だからおそらく近い将来、総合格闘技はバレエ以上の身体芸術になる。
最先端のコミュニケーションはおそらくコーチングをも超えていく。
forefront=最先端のコミュニケーションは総合格闘技のように早く美しくそして強い作品になるだろうか?それともそれが生み出す利潤で共同体を切り裂く市場社会の道具となるだろうか?
それはおそらくこれから私たちが、こころを沸騰させ生命を燃料にしてコミュニケーション作り続けることができるかどうか、そんな単純なことにかかっている。
研修委員:黒木雅裕
なにしろ総合格闘技という、もともととてもマイナーな格闘技の分野を世界規模の競技に育て上げてしまったのだから考えてみればわけのわからない民族だ。
総合格闘技とは簡単に言えば、パンチを打つ、キックする、投げる、関節技をきめるなど格闘技のあらゆる技を使うことを許される競技で、誤解を恐れずに言えば「極限まで洗練されたケンカ」とも言える格闘技だ。
日本の柔術が源流となって世界を席巻し、ロシア、タイ、ブラジル、オランダそしてもちろん日本などのあらゆる格闘技のエッセンスを吸収しながらたぶん今世界でも最もその進化率が高いスポーツだ。
進化率で言えば、現在のコミュニケーションもその進化率は相当に高い。
インターネット、携帯、チャット、メール、新口語体の発生、旧口語体への回帰、コーチングそしてブログ。
国家としての共通目標や共通モラルが希薄になった現在、あらゆる人があらゆる手段を使ってなんとか他者とつながっていようとコミュニケーションを進化させ、情報というリングの中でその覇権を巡る争い現在進行形で行われている。
総合格闘技はプロレスが衰退し、ボクシングが弱体化した「格闘技の荒野」から登場した新しい文化だ。現在のコミュニケーションの進化も、市場社会のスピードが旧来のコミュニケーションを弱体化させた「意思疎通の荒野」からうまれた新しい文化だ。
進化した総合格闘技は場所をアメリカに移してまたあらたな最先端=forefrontを描き続けている。
仕事を超えて格闘技を作りあげる、こころが沸騰している人たちが、その生命を燃料にしてアスリートの新世界を作り続けている。だからおそらく近い将来、総合格闘技はバレエ以上の身体芸術になる。
最先端のコミュニケーションはおそらくコーチングをも超えていく。
forefront=最先端のコミュニケーションは総合格闘技のように早く美しくそして強い作品になるだろうか?それともそれが生み出す利潤で共同体を切り裂く市場社会の道具となるだろうか?
それはおそらくこれから私たちが、こころを沸騰させ生命を燃料にしてコミュニケーション作り続けることができるかどうか、そんな単純なことにかかっている。
研修委員:黒木雅裕
by y-coach_net
| 2008-08-13 00:38
| 黒木さんのコーチング