安心と変化のコミュニケーション…「教育の4つのポイント 4」
2008年 11月 21日
「させてみる」のは、すなわち「体」の教育です。
現在の社会状況では、教育そのものが「「視覚」に大きく偏っています。学校の教科にしても、英語や数学、理科、社会といった「言葉」に依存した教育内容の増大に比べて、いわゆる「体育」や「美術」など、「体」を使った情報吸収の貧弱さ明らかです。
ゲーム、TV、映画などの映像メディア、さらにはインターネットによって爆発的に拡張されたコンピューター文化によって、「視覚」と「体感覚」の情報差は拡大するばかりなのです。
また農業から工業、そして情報産業と産業構造がシフトした日本の近代化は、「体感覚」で現実を生きる社会から、「視覚」で情報処理する社会へと変化したとも言えるでしょう。
しかし、「視覚」に依存した社会生活そして教育は、心身の全体性から見た人間の精神に過剰なストレスを与えます。
現代の日本社会は、状況によっては「言葉」と「視覚」だけで仕事や社会生活を成立させることができ、「体」なしでも生存可能な環境です。しかしながらその状態こそ人間の神経系への過剰な負荷の積み重ねと自律神経の衰弱、すなわち「生命力」の弱体化をもたらすのです。
教育の4つのポイントの中核、「させてみる」その「生命力」に働きかける教育です。
神経系に過剰な負荷がかかっている現代の人々は、実は、無意識に自分の「身体性」を復活させたい欲求を拡大させています。体と神経の負荷を一致させ、体感覚と神経をバランスよく高揚させ、視神経や視床下部の過剰な興奮によるストレスを回避しようとしているのです。
「させてみる」ことは、「繰り返し体を動かして運動神経や筋肉の条件反射をつくる」という従来の教育の方法でもあります。と同時に上に記したように、「身体性」を「再獲得」したい、現代人の潜在的欲求を意欲の源とした、新しい教育手段でもあるのです。
「させてみる」、をその教育的意義に加えて、「身体性」を取り戻すための、現代のリハビリテーションとして活用するという視点も意味あるものと考えています。
…(続く)
研修委員:黒木雅裕
現在の社会状況では、教育そのものが「「視覚」に大きく偏っています。学校の教科にしても、英語や数学、理科、社会といった「言葉」に依存した教育内容の増大に比べて、いわゆる「体育」や「美術」など、「体」を使った情報吸収の貧弱さ明らかです。
ゲーム、TV、映画などの映像メディア、さらにはインターネットによって爆発的に拡張されたコンピューター文化によって、「視覚」と「体感覚」の情報差は拡大するばかりなのです。
また農業から工業、そして情報産業と産業構造がシフトした日本の近代化は、「体感覚」で現実を生きる社会から、「視覚」で情報処理する社会へと変化したとも言えるでしょう。
しかし、「視覚」に依存した社会生活そして教育は、心身の全体性から見た人間の精神に過剰なストレスを与えます。
現代の日本社会は、状況によっては「言葉」と「視覚」だけで仕事や社会生活を成立させることができ、「体」なしでも生存可能な環境です。しかしながらその状態こそ人間の神経系への過剰な負荷の積み重ねと自律神経の衰弱、すなわち「生命力」の弱体化をもたらすのです。
教育の4つのポイントの中核、「させてみる」その「生命力」に働きかける教育です。
神経系に過剰な負荷がかかっている現代の人々は、実は、無意識に自分の「身体性」を復活させたい欲求を拡大させています。体と神経の負荷を一致させ、体感覚と神経をバランスよく高揚させ、視神経や視床下部の過剰な興奮によるストレスを回避しようとしているのです。
「させてみる」ことは、「繰り返し体を動かして運動神経や筋肉の条件反射をつくる」という従来の教育の方法でもあります。と同時に上に記したように、「身体性」を「再獲得」したい、現代人の潜在的欲求を意欲の源とした、新しい教育手段でもあるのです。
「させてみる」、をその教育的意義に加えて、「身体性」を取り戻すための、現代のリハビリテーションとして活用するという視点も意味あるものと考えています。
…(続く)
研修委員:黒木雅裕
by y-coach_net
| 2008-11-21 23:02
| 黒木さんのコーチング