本の紹介…「おかしな男 渥美清」 小林信彦著
2009年 02月 05日
すべての人間は、できることなら自分のやりたいことだけをやって生き、自分の好きなことを仕事にしたい、そして自分の才能を100%発揮して「その他大勢」でない特別な人になりたいし、少なくともまわりからせめて軽くあしらわれるようなことのない人間になりたいと考えている。
と同時に最近思うのは、競争で身もフタもなく勝敗が決まるこの市場社会で本当に必要なのは、「やりたいことをやること」や「才能を見つけて伸ばす」ではなくて、この市場社会で「いかにして死なないで生き続けていくか?」ということではないかということだ。
なまじっかな収入を得ていても、ほんの少し社会状況の変化すればたちまち生命の危険に直結するのが、低成長時代に入った日本の実情だ。
特に日本は、低成長時代に入ってからの期間が短いので、北欧などの高社会福祉国に比べて、人が「死なない」ためのセーフティネットが格段に弱い。
この、「死なない」ということは、文字通り「肉体的に死なない」という意味もあるが、もう一つ重要なのは「社会的に死なない」ことだ。
人は仕事によって自分が何ものであるかを確認する。人は「いつでも誰かが代わることができる仕事」をしている限り、自分は他の誰でもない自分自身である、という認識を持つことができない存在なのだ。
渥美清は、私たちにとっては下町の人情家「寅さん」を演じた泥臭い俳優に過ぎないが、彼は、実はもともとハリウッド映画的なモダン・コメディアンを目指した芸能界の野心家だった。
彼は、野望と才能を発揮し、いつもテレビ局とのコネクション作りを欠かさず、結核で片方の肺を失った虚弱な体に折り合いをつけ、そして電話機しかない狭いアパートを孤独な作戦基地にしてそれでも成功の階段を上っていった。
一時期は、植木等のライバルと見なされるほど、演技、ものまね、ギャグともに突出したタレントだったが、あまり人を信用しない剣呑な性格と、テレビ的に受けるための「可愛げ」の無さ、なにより「現代的でない風貌」が壁になったのだと思うがテレビの世界では結局失速していった。
モダン指向の渥美清にとって、「寅さん」の世界観ほど、コメディアンとしての理想像から遠いものはなかったのではないか。最初の頃こそ俳優としてのチャレンジ精神を刺激されただろうと思うのだが、まさか残りの半生を「架空の下町」葛飾柴又で「人情家のフーテン」として生きることになろうとは…
若き渥美清には才能もあったし、努力もあったし、野心もあったし、運もあった。しかし近代化していく日本の中で時代に遅れていくという「宿命」を乗り越えることはできなかった。しかしそれでも彼は「死なない」ために、最後まで泥臭い世界の住人として生き続けた。
人は自分の才能や生まれ落ちた家族や社会、そして時代という「宿命」とどう向き合って生きるべきか…人は常に「自由意志」と「宿命」のはざまで嵐の中の小さな舟のように揺られている。もしできれば、可能であるならば、「宿命」に勝って「誰でもない何か」になるために。
研修委員:黒木雅裕
と同時に最近思うのは、競争で身もフタもなく勝敗が決まるこの市場社会で本当に必要なのは、「やりたいことをやること」や「才能を見つけて伸ばす」ではなくて、この市場社会で「いかにして死なないで生き続けていくか?」ということではないかということだ。
なまじっかな収入を得ていても、ほんの少し社会状況の変化すればたちまち生命の危険に直結するのが、低成長時代に入った日本の実情だ。
特に日本は、低成長時代に入ってからの期間が短いので、北欧などの高社会福祉国に比べて、人が「死なない」ためのセーフティネットが格段に弱い。
この、「死なない」ということは、文字通り「肉体的に死なない」という意味もあるが、もう一つ重要なのは「社会的に死なない」ことだ。
人は仕事によって自分が何ものであるかを確認する。人は「いつでも誰かが代わることができる仕事」をしている限り、自分は他の誰でもない自分自身である、という認識を持つことができない存在なのだ。
渥美清は、私たちにとっては下町の人情家「寅さん」を演じた泥臭い俳優に過ぎないが、彼は、実はもともとハリウッド映画的なモダン・コメディアンを目指した芸能界の野心家だった。
彼は、野望と才能を発揮し、いつもテレビ局とのコネクション作りを欠かさず、結核で片方の肺を失った虚弱な体に折り合いをつけ、そして電話機しかない狭いアパートを孤独な作戦基地にしてそれでも成功の階段を上っていった。
一時期は、植木等のライバルと見なされるほど、演技、ものまね、ギャグともに突出したタレントだったが、あまり人を信用しない剣呑な性格と、テレビ的に受けるための「可愛げ」の無さ、なにより「現代的でない風貌」が壁になったのだと思うがテレビの世界では結局失速していった。
モダン指向の渥美清にとって、「寅さん」の世界観ほど、コメディアンとしての理想像から遠いものはなかったのではないか。最初の頃こそ俳優としてのチャレンジ精神を刺激されただろうと思うのだが、まさか残りの半生を「架空の下町」葛飾柴又で「人情家のフーテン」として生きることになろうとは…
若き渥美清には才能もあったし、努力もあったし、野心もあったし、運もあった。しかし近代化していく日本の中で時代に遅れていくという「宿命」を乗り越えることはできなかった。しかしそれでも彼は「死なない」ために、最後まで泥臭い世界の住人として生き続けた。
人は自分の才能や生まれ落ちた家族や社会、そして時代という「宿命」とどう向き合って生きるべきか…人は常に「自由意志」と「宿命」のはざまで嵐の中の小さな舟のように揺られている。もしできれば、可能であるならば、「宿命」に勝って「誰でもない何か」になるために。
研修委員:黒木雅裕
by y-coach_net
| 2009-02-05 22:27
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