挨拶論 (12)
2009年 03月 06日
挨拶はなぜ難しくなったのか。
ひとことでいうと日本社会の価値観が相対化したからだが、この言葉がちょっとわかりにくい。
みんなが一緒に信じられる正しさや美しさがなくなった、信じていた人や物の価値が錯覚だったことに気づいたということだが、要するに社会の現実を裏表まで知って、みんな一緒に信じられるような、理想や目標がなくなったということだ。
たとえば、僕の父の若い時代には、「末は学者か大臣か」という言葉が残っていた。学者とか大臣は、みんな共通のあこがれの職業だった。たぶん地方都市で秀才と言われた人は、その多くが政治家や官僚や研究者を目指したのだろう。
今ならベンチャー起業家や女優だろうか?「末は学者か大臣か」から「末はベンチャー起業家か女優か」…これが高度経済成長を終えて近代化した日本の価値観の変化だ。
高度経済成長時代は日本史上もっとも一発逆転できた時代だった。だから、あまり積み重ねなくても楽に成功する道があって、実際に成功して逃げ切った人達もたくさんいるのだ。
ところが、またまた時代は逆転する。
もう日本には高度経済成長は来ない。けれどメディアでは、個性や才能や容姿で、一発逆転の成功をしている人たちがいまだ輝いているように演出されている。と同時に、ほとんどの人間にはは積み重ねしかないことにも、みんな気がつき始めている。
…研修委員:黒木雅裕
ひとことでいうと日本社会の価値観が相対化したからだが、この言葉がちょっとわかりにくい。
みんなが一緒に信じられる正しさや美しさがなくなった、信じていた人や物の価値が錯覚だったことに気づいたということだが、要するに社会の現実を裏表まで知って、みんな一緒に信じられるような、理想や目標がなくなったということだ。
たとえば、僕の父の若い時代には、「末は学者か大臣か」という言葉が残っていた。学者とか大臣は、みんな共通のあこがれの職業だった。たぶん地方都市で秀才と言われた人は、その多くが政治家や官僚や研究者を目指したのだろう。
今ならベンチャー起業家や女優だろうか?「末は学者か大臣か」から「末はベンチャー起業家か女優か」…これが高度経済成長を終えて近代化した日本の価値観の変化だ。
高度経済成長時代は日本史上もっとも一発逆転できた時代だった。だから、あまり積み重ねなくても楽に成功する道があって、実際に成功して逃げ切った人達もたくさんいるのだ。
ところが、またまた時代は逆転する。
もう日本には高度経済成長は来ない。けれどメディアでは、個性や才能や容姿で、一発逆転の成功をしている人たちがいまだ輝いているように演出されている。と同時に、ほとんどの人間にはは積み重ねしかないことにも、みんな気がつき始めている。
…研修委員:黒木雅裕
by y-coach_net
| 2009-03-06 11:27
| 黒木さんのコーチング